犠牲者の墓 |
陳明宏さん(1928年生) 「逃げて、午後1時くらいに村にもどった。家がみんな焼かれていた。
たくさんの焼け焦げた遺体が重なっていた。炭のようになっている遺体もあった。 |
陳貽僑さん(1925年生)みんな死んでしまったので、もう自分も生きていたくないと思った。 日本軍は、焼きつくし、奪いつくし、殺しつくした。ただただ日本の軍国主義を恨む」。 |
陳貽芳さん(1933年生)「生まれて8か月の甥が、日本兵に、ゆりかごから、火のなかになげ入れられた。
父、母、兄、その妻、姉、弟、甥の7人が殺された。
日本軍は銃刀を持って、一軒ずつ家の中を探した。
私は稲草のところに隠れていた。
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墓碑 |
秀田村惨案記略 |
墓碑裏面
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虐殺現場を示す陳貽僑さん |
村人が押し込められ焼き殺された家の跡 |
舗前旧市街地(2004年12月撮影)
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